時間・命・魂

 昨夜、夜行で神戸に行ってきた。4月から始まる第6回モハンさんの絨毯展のDM の写真撮影のためだ。3時半くらいに列車に乗ったが眠れず、ソフィーの世界なる本を読んだ。哲学概論的ミステリーとでも言うべきか、ずんずん世界に入っていける一冊なのだが、睡魔とたわむれながら読んでいくうちに自分自身の最近思うテーマのほうに思いが入っていった。神という概念だ。自然であったり、自然の摂理であったり、人知の想像もつかない何かであったり、いろいろな考え方があるが、時間こそが全てを癒し、目に見えねどもその痕跡を全てに残す神なのではないか、というのが最近の自分の定説だった。けれどこの夜は、命に思いにめぐらしてみた。魂ということばもなんとなく頭に浮かんでくる。命というのは生きている象徴である。すなわち、生きているとは死んでいない状態のことであり、与えられている時間を生きているということである。すなわち、命=時間であり、限りがある。そしてその限りある時間という概念を超えているのが魂の領域。とすれば、時間は神と考えるこれまでの自分の考え方は、神を小さな枠のなかに閉じ込めてしまうのではないか・・・
 寝不足がカオスを招くこんな夜は、結論には触れずにさっさと寝るに限る。せめて夜行に乗車する際は、日中に仮眠を取るべきだったというのが今夜の結論だ。そう、仮眠こそ神。