謹んで新年のご挨拶申し上げます。

 昨年は、国難の一年だった。けれど、これは政府の責任でもなければ政治家の責任でもない。ひとりひとりの国民の責任だ。たとえ、そうでないにしても、残された僕達にそんな自覚がなければ同じ過ちを犯してしまうことは避けようがない。今現在、国内に6基の原子力発電所が稼動している。4月の末に全基が停止する予定だが、それまでに大きな地震がこないか、それが最大の懸案事項だ。現在国土の3パーセントが除染地域に指定されている。ただでさえ狭い日本での3パーセントだ。これが、もう一基ボカンといってしまったら、さあ大変!になってしまう。浜岡ではないが、この国は、地震列島日本であることを忘れてしまったらあとの祭りだ。あとの祭りがいやだから、僕らは先に祭りをする。明日といっても今日だが、「グッバイ原発ダンスパレード」だ。踊り続けよう。すべての原発が停止、廃炉になるまで。ダンスの基本はそこにある。人間は、すでにありのままで美しい。その美しき人間が母なる大地への感謝の印として踏むステップこそが、ダンスなのだ。大地は分かっている。僕らに何が必要で、何が不要なのかを。ぼくらの生きる舞台は、大地だ。大地に感謝を捧げずして明日はない。今回のパレードは、ロビンさんと軽部めぐみさんが中心となって計画された。ともに美しい女性だ。二人の輝きはますます増すだろう。そして、第二第三のロビンがこの地にあらわれる。男も女も、子供も大人もロビンになったとき、この国、そして世界は変わる。昨日まで恋に夢中だったあなたまでも変わる。ロビンに変わる。昨日まで、アンニュイに窓辺に佇んでいたあなたも、メールや予定、あるいは仕事に振り回されていたあなたも変わる。ロビンに変わる。変わらないと思っていたあなたも変わる。ロビンに変わる。そして、世界が変わり始める。2012年はそんな年なのだ。生きる奇蹟に死ぬ奇蹟。2012年はそれに、変わる奇蹟が加わる。笑って2013年を迎えることが、今年の僕の目標だ。
 もちろん、今の僕とは変わっている。ロビンになる。

斉藤和義、山口洋

 3.11以降、斉藤和義の本音のライブ画像が巷にあふれた。もちろん、ぼくも何度も繰り返しあの歌を聴いた。そして、我らが兄貴、山口洋。先日、東京に呼び出しがかかった。そんなことは初めてのことだった。北は北海道から南は沖縄まで、兄貴とご縁のある何人かの男女が集まった。そして、相馬を中心に被災地に数多く入っている兄貴は、自分がミュージシャンだなんてとても言えない。そうつぶやいた。涙が出そうになった。地震だけならもうかなり復興のめどはついただろう。けれど、目に見えないもののせいで、福島は、日本は大きく分断された。昔、人類が滅亡するとしたら目に見えないウイルスか何かに滅ぼされるんじゃないか、そう言っていた自分の台詞が、ああ、あれは目に見えない放射能だったのか・・・そう思えてくる。とにかく、この現実の中、自分がミュージシャンだなんてとても言えない。その言葉は新しい時代の歌になって聞こえた。自分を捨てるときが来たのだ。この状況を変えるには、乗り越えるには、それぞれの立場如何に関わらず、自分を捨てなければならないのだ。斉藤和義も、自身の歌をパロディルことで、これまでの自分を捨てた。もちろん、山口兄貴も。
 僕も、捨てなければならない。真っ先に。そして、最後まで捨てないのは誰なのだ。
なーんて。そんなことはもう気にしない。変わり始めた何かは、簡単にはおさまりそうもないから。

感動と興奮の3DAYS

 金、土、日と三日間。メロポチは音楽が鳴り止まなかった。やっぱり音楽ってすごい!細胞DNAレベルから僕らを感動と興奮の渦へ誘ってくれる。三日間ともまったく別々のニュアンスの夜だったが、どれも最高だった。音楽と触れ合う限り僕の細胞は生まれ変わり、永遠の活力を与えられる!そんな大げさなことを言いたくなる余韻に今も包まれている。世界は、マネー、政治、宗教、偏見、格差、戦争・・・あらゆる要素から分断され、憎しみの卵が産み落とされているかに見えるが、やはり、ひとつなのだ。ぼくらは、ひとつになれる。あらゆるうわべの論理を突き抜けて、震えなければならない。おおらかな波に、あるいは宇宙を流れる未知なる波動に。小さな町の小さな店からあふれる音楽が、町にこぼれ、道にこぼれ、川にこぼれ、海にこぼれ、空にこぼれ、宇宙に広がっていく。ビートに刻まれた僕らの生の一瞬の輝きを携えて。激しく歌い、激しく踊り、僕らは空っぽになる。体重何キロなんてナンセンス。そんなことはもうどうでもいいのさ。
 朝になって、日がまた昇れば。
毎度、毎度の皆様から、お初の皆様まで、本当にどうもありがとうございました。

美しき国土を残すだけ。

 河野太郎講演会が去る22日、金沢市文化ホールで開催された。実行委員として、司会として、僕も参加させていただいた。市内在住の普通の一人の主婦が、311後、実家の茨城の放射線量を憂いて原発について学びだし、志賀原発廃炉の署名を知事に渡した後、「これで終わりなの?」という自分への気持ちが抑えきれず、河野太郎代議士に金沢に来てください!とメールを出したことからこの講演会は始まった。選挙区でもない見ず知らずの一市民のメールに反応する代議士。しかも「YES」と。何気ないことだが、すごいことだ。市民国民と向き合う政治家、あたりまえのようだがそうそういない。たとえば浅野川水害の被害者の話を面と向かって聞こうとしない某知事など記憶に新しい。
 実行委員のみなさん、参加されたみなさん、協力してくださったマスコミ関係のみなさん、チラシや呼びかけなど協力してくださった多くの皆さんのおかげなくして今回の成功はなかった。本当にありがとうございました。
 さて、一部の河野氏の講演会。原発は世界の潮流から大きく後退している現実。(代わりに当然のことながら自然エネルギーへの投資が世界的にはうなぎのぼりに増えている)原発は、もんじゅの半永久的なトラブルから、核燃料サイクルシステムは既に限界で、使用済み核燃料の保管スペース、放射性廃棄物の処理の問題等から311以前から先が見えていた現実。そして、福島第一原発の事故により、絶対安全の原発本体(軽水炉)そのものまでも、安全ではない厳しい現実が露呈したというお話。デモや、署名も大切だが、選挙区の国会議員に直接(事務所でも)この危険性に対しどのように考え対処するつもりなのかを問い詰める行為なくして現実の変化なし、というありがたいお話まで明快に分かりやすく頂いた。
 第二部では、福島から金沢に来られた浅田さん、原田さん、志賀原発から10キロ足らずの七尾市在住の志田さんをまじえたシンポジウム。心からの思いに、会場もしっとりとした空気感に。福島のことを知らなさすぎる自分に気づかされた。けれど、それでも僕らを励ます河野太郎さんによし、がんばろう!という気持ちが湧き出るから不思議だ。この人に総理大臣になって欲しいと思った人は、僕だけではないはず。
 オープニングと転換タイムは石川征樹さんのギター演奏。硬くなりがちな僕らの気持ちをいい感じでリラックスさせてくれた。お客様からも多数ギターよかったという声が。音楽がさらに会場の一体感を増幅させる。
 会が終わり、スタッフはメロポチで打ち上げ。河野氏は最終便で東京から駆けつけた馳代議士と食事会。スタッフ女子の残念がり方は尋常ではなかったが、実は、河野氏の本当の仕事は、これからなのだ。311後、50人の自民代議士が脱原発にシフトしたが、馳氏はいわゆるグレーゾーン。馳氏にいちはやく脱原発宣言していただくためにも、金沢での二人の時間は大切なのだ。次の選挙では、間違いなく民主、あるいは自公での過半数はないだろう。そうなると、誰が大連立の軸になるかが問題になる。明確に脱原発の意思を貫き通す河野氏が軸にならずして明日の日本の美しき国土はない。
 そのとき、グレーではだめなのだ。市民も代議士も。わたしもあなたも。

ダンス連盟のJumP!!

 今年で二度目の石川県大学ダンス連盟の合同イベントJumPを観るために、野々市フォルテに行ってきた。昨年も泣いた記憶があるが、今年もやられた。Tシャツまで買っちゃった。こんなイベントはちょっとない。もちろん来年も必ず観に行く。サイコーーーーー!!!!!とはまさにこのこと。
 ありがとうございました。若きダンサーの皆様。

きたーーーーー!!佐藤ヒロキ アンコール!!!!!

 ひょんなことで、めずらしく気分が悪い夜だった。気分が悪いといっても、吐きそうとか、立ってられないとかそんな感じではない。こころがざわめく。そんな夜。マンスリーの生音、佐藤ヒロキLIVE、HOME もはいっているようではいっていない微妙な感じだった。カウンターには謎の外人。けれど、次第に気持ちよくヒロキワールドにはいっていき、極め付けがアンコールの一曲。完全に僕を飛ばしてくれた。しかも、演劇「時に君は君でなく、そして僕は戸惑いの空間で揺れる旅を続けてしまう」の世界へ。
 芸術村での演劇祭は約一時間。あがった脚本は、ここまでだった。が、さらなる世界へ、つまり続き。が僕の脳裏に浮かんできた。富山高岡カフェボローニャ、高山別院庫裡、メロポチ公演はもうちょっと長いものになりそうだ。僕にとって最高のライブは、ふとした拍子にイマジネーションの世界へ誘ってくれるもの。佐藤ヒロキの一曲で、僕のこころがリフレッシュされ、また、一歩すすみだす。未知の世界へ。それが人生の醍醐味。
 ライブ終了後、カウンターの外人さんと会話をすると、なんとフランス政府にお勤めのミスター、失礼、ムッシュー。京都の某ライブハウスでも面白いライブを観たと。そして、その店はあの、「私の思い出」の彼の勤める店!!!いや〜〜つながってますな〜〜〜!!どこまでも、是非パリにライブをしに来て下さい。と佐藤君に告げるP氏。世界は次第に狭まっているのか、それとも広がっているのか!?乞うご期待。

13周年ありがとうございました。

 7月4日。月曜日。昼間のメロメロポッチは美女で埋め尽くされた。縁あって来て下さった宮沢和樹さん。(宮沢賢治氏の弟さんのお孫さん)静かなお話し会に僕の心は熱くなった。生前出版された宮沢賢治作品は自費出版の詩集一冊と友人と共同出版した童話「注文の多い料理店」の二冊のみ。しかもほとんど売れず。縁あってその詩集を手にした高村光太郎氏の終戦直前の花巻疎開時のひとこと、「この家には防空壕がない。掘りましょう。」その言葉に賢治の父が実際に防空壕を掘って完成数日後、昭和20年8月10日に花巻が空襲に。賢治の著作がその防空壕で難を免れなければ、今の賢治ブームはない。「アメニモマケズ カゼニモマケズ・・」も。残るものには意味がある。残るべき何かがある。
 13周年を迎え、ますます「ある」意味を考える。ありがたいことだが、もっともっと深く掘り下げなくては、と思う。美しい花々、笑顔、酒、メール、メッセージ・・・すべてが僕の胸に問いかける。ヒントは宇宙志縁隊で訪れた石巻、老舗ロックバーBe-in。マスターにまた会いたくなる。町はひと。どこにあるかではなく、誰がいるか。一人ひとり訪れる皆様の憩いの場所になることをめざして。
 皆様、ありがとうございました!!エクストラの歌も最高でした〜!!感謝!!!