新蕎麦を打つ会

 今日、午前から、蕎麦打ち名人の中山さんを迎え、新蕎麦を打つ会がメロメロポッチで催された。生まれてはじめて蕎麦を打つ現場を見させていただいたけれど、なかなか奥が深い。初めての企画なだけに、こちらもかなり緊張した。蕎麦打ちを見てうなっているだけなら簡単なのだが、それを茹でるのが僕の仕事だからだ。おろしおかか和え、自然薯和え、わかめ胡麻和え、と三種の蕎麦を参加者全員で操った(食した)わけだけれど、何度も何度も茹で続けた。
 すると不思議なことに、たくさんの人が段取りするため太さや硬さが違うはずのそばなのに、ある瞬間から自信を持って茹で上がりが分かるようになったのだ。
 最初はタイマーだけを頼りにし、けれど、どこかでタイマーも疑う自分がいて・・・いつの間にか、必死にその作業を繰り返すうちにあるリズムが生まれ、あっ!と思った瞬間、分かったのだ。食の道楽人、千尋さんにも最初からみるとずいぶんうまくなったね、と言われた。
 がむしゃらにやり続ける中からしか見えないもの、見失い、また見つけ、また見失い、また見つける。
 よく言われることだが、一番見えないものはきっと自分自身だろう。当然、僕自身も自分が一番見えていない。周囲の人からの指摘が一番、的を得ている。けれど、分かっていてもそれほど器用に生きれない自分がいる。そんな自分と本当に寄り添って生きていくのも自分自身しかいない。

そんな夜。