平和と憲法

 続けることは難しく、やめることは簡単だ。年々憲法を変えようという気運が高まり、その数は近頃この国に住む参政権を持つ人たちの半数を超えた。シンプルに考えて法律なんぞなくてもみんな幸せを感じることができる社会が最高にハッピーなことはいうまでもない。けれど、二人の人がいればそこから考え方の違いが生じ、たくさんいればやっぱりトラブルも起こる。法律もやっぱり必要なものだと思う。だからその根幹には、絶対「理想」がなくてはならない。たどり着けるか否かは別として高い理想が。誰も生まれ来た命は、やがては還ってゆく。そう、ゆっくり息をしてやがては止まるのだ。殺すなかれ。殺されることなかれ。言い換えれば平和を希求せず、何を求めるのか。
 この国の平和は「おはよう、こんにちは、ありがとう、おやすみ。」そんなあいさつが一番象徴的だが、目に見えないところで憲法9条という難しい文章で表されており、こっそり僕たちの平和を支えてくれていた。先に書いたようにこの憲法を変えるという動きに対して、いち早く反応し、特に9条を守ろうとしている人たちがいる。僕が見る限り、これらのアクションを起こす人々の多くは「表現者」だ。彼らは表現することの根底に平和であることがどれほど大切で大きな意味を持っているかを知っている。
 ではなぜ、彼らは表現者としての人生を歩んでいるのだろう?そこには彼らの生きる喜び、あるいは価値があふれているのだ。僕は言葉としての「平和」を広げることより、表現者としての喜びをあふれさせることが真の「平和」につながるのでは?と考えている。仕事の合間に、学業の合間に、あるいは生業として、表現しましょう!
 愛を?悲しみを?ロマンを?それとも・・・