虫の死

 庚申の日、人が寝静まると、足と腹、頭に住む3匹の虫が天に昇り、その主に、彼、あるいは彼女が如何に悪さをしているか報告するという。そして、天の主はその報告を元に、寿命をコントロールしているそうな。
 つまり、それら3匹の虫たちが死んでしまったらどうなるのか!?どうしたら死ぬのか?死んでしまえば、悪さもしなくなり、庚申の日に、日の出まで眠らないと1匹ずつ死んでゆくという。そして、60日ずつ訪れる庚申の日に3回続けて、僕は眠らずに朝を迎えたのだ。
 まず、3回目の庚申の日を終えて、僕の感じたことは「あっ、虫はもういない。」「死んじゃったな・・・」ということ。そして、その虫の占めていた部分はかなり大きかったということ。よく亡くして初めて気がつくというが、本当にそんな感じなのだ。そして、虫のいない自分がずいぶんと味気ないものに感じたのも事実だ。カウンターでそんな話をしたとき、あるお客様が「あっ!やっちゃたの。」と虫は残すべき的なニュアンスで話されたのが妙に印象的だった。
 しかし、「虫の知らせ」なる言葉があるが、果たしてもう僕にはこの知らせがないのか?このことが実は大きな不安だった。時々、その日、来られるお客様がわかることがある。まるで虫の・・・ように。そして、その最も冴える日が、今夜の小幡さんのライブの日なのだ。
 「わかった。」虫はいなくとも冴えていた。どうやら、虫ではなかったようだ。何かと別れ、誰かと出会う。猛スピードで宇宙空間を回り続ける地球の上で、ちっぽけなことに今夜も右往左往する。
 どこまでも深い沈黙を感じさせる小幡さんのオープニング。圧巻でした。来月もよろしくお願いいたします。感謝!