パーソナルスペース

 人間同士の意識しない互いの距離感のことをパーソナルスペースという。これはあまり近くなりすぎると逆に居心地が悪くなる。都会の満員電車然りで。つまり、肉体の空間以上に、人間は自分の空間をまとって生きている。ほとんど一日、13〜15時間、働いているのか、遊んでいるのか、だらだらとメロメロポッチで過ごす僕にとって、この距離感はあってないようなものだが、時々気になる。8年来の某友人に、よくもあれほど多くの人々と接することができる・・・そんなことを言われたことがある。当たり前のように、そんな日々を過ごしてきたが、最近、果たして僕はいったい何人の人々に触れ合ってきたのかと思う。多くの人に触れ合えば触れ合うほど人は孤独になると、ある詩人は言っていた。皮肉めいているが、ある意味真実のようにも思える。最近、ある友人が孤独の扉の鍵をかけたまま音信がない。あふれんばかりに外の空気に触れたくもままならぬ友もいる。僕は彼らに何も言わない。何も言えない。彼らには彼らの運命と哲学と希望と絶望がある。この瞬間をともに生きる僕にとってできることは、ただ、沈黙と静寂によって彼らの道を信じることだ。言葉は瞬間、嘘になる。あるいは溶けて行く。何も言わず、そして何も言えず。永遠の虚像を冷めた目で見つめる。