通夜と葬儀

 世話になった伯父さんが79歳で亡くなった。僕を囲む伯母様は、80歳、81歳、82歳、83歳、84歳。みんなご機嫌な女性たち。僕は親戚が大好きだ。それぞれの顔にそれぞれの人生が刻まれている。伯父も伯母も従兄弟もみんな大好きだ。だから、冠婚葬祭もなんとなく心が躍る。
 若いころ伯父さんのお宅で、しこたま酒を飲み、一晩で20回ほど厠に足を運んだことも懐かしい思い出だ。人生は瞬間のドラマ。生きたい様に生き、言いたいことを言い、泣きたいだけ泣く。通夜と葬儀のたびに自分に問いかける。本当に自分は生きているかい?生きている。生きたい様に生きている。ありがたい。本当にありがたい。相変わらず、世界幸せ男ランキング上位5位からは漏れていない。本家の本家の伯父様が今年81歳。夏の不調を乗り越え、葬儀に参列。その朝30分ほどロビーで話していただく。目元に死んだ自分の父親の面影を見ながら・・・この人と話すといつも僕は父親を意識する。「血」なのか・・・。生きていても死んでいてもそのつながりから逃れることはできない。僕が幸せを自負するのは、この自分のつながりに最高の幸せを感じていることが根本にあると思う。つまり、生きていても死んでいてもこのつながりに満たされているのだ。生きるものは生きる役割。死ぬものは死ぬ役割。そして、今をともに生きる横のつながり。最高の人々につながって今の僕がいる。とにかく、人に恵まれている。いつもいつも感謝するほかありえない。神様のように純粋で、素敵な人々。常に、微笑をたたえる美しき人々。どんな時も、あきらめぬ信念の人々。目に見えぬ音を信じ、そのバイブレーションを伝える無の人々。たゆまぬときの流れに、たゆまぬ思いをはせる。