長谷川健一の奥深さ

 ハセケンの声は意外と太い。裏声の部分が取り上げられがちだが、ベースになる声は決して細くはない。そして、裏腹にその歌詞の繊細さ。長谷川等伯の国宝を歌にすれば、きっとこうなる。ゆえに「人間国宝 長谷川健一」となるわけだが、今朝送られてきた彼からの手紙に僕は涙した。そして、歌の世界以上に彼のセンスに「伝説」を感じた。目標のお客様を集客できなかった残念さは取り返しがつかないが、そんな事態がまた別の果実をもたらすのだ。苦い苦い味のこの果実、忘れることは生涯できない。もし、この果実を忘れたら僕は生きる意味をなくす。とんでもないひとに出会ってしまった。CDが売れない時代に入ったとよく耳にする。けれど長谷川健一のCDは売れ続ける。誰のCDが売れなくなっても、ハセケンのCDは売れ続ける。(現実、売れているが)僕はそう確信する。景気がよい、悪いの話ではない。もっともっと、深い次元の話なのだ。この国には長谷川健一が必要で、ハセケンが震わせているのは声ではなく、何なのかという話なのだ。
 本来ならば、ハセケンに返信すべきところ、本人に宛てる言葉が見つからずこの欄に記したことをお許しください。神様。みな様。ハセケンさま。