ぼくの音楽の起源の人来る!

 小学校の少年科学教室夏の一泊旅行。三和小のT君のウォークマンから流れてきた音。それがオフコースだった。洗練されたメロディーとハーモニーに、心わしづかみにされたことを昨日のことのように思う。それは、僕の人生の「音楽」との出会いだった。初めて行ったコンサートはもちろんオフコースのOVER TOURの石川厚生年金会館。忘れもしない、僕のコンサートデビューの夜だった。そこで、ポラロイドカメラ小田和正氏を写し、客席に投げていたギタリストが今夜、メロメロポッチに来てくださった松尾一彦氏だった。そのツアーで日本武道館10日間LIVEを挙行したオフコース。ひょっとして僕の青春初期のすべてだったといっても過言ではない。当然のことながら中3の修学旅行も移動中のバスはシングル「君が嘘をついた」のヘビーローテーションだったことはいうまでもない。
 電話とメールで松尾さんとやり取りをしていざ当日。リハーサルのハーモニカに泣きそうになり、ライブ後のお客さんへの優しい対応に人間的魅力を感じ、杉野君との打ち上げのニールヤング話しでは、一人間としての音楽への深い愛を感じた。数々のメジャーミュージシャンのお話もさることながら、ずっと音楽を愛し続けてきた人間の純粋さに心打たれた。正直、憧れの人には会いたくなかった。けれど、お会いできて本当に嬉しかった。感動をうまく言葉に出来ないが、めぐり合わせてくれた神様に深く感謝いたします。ありがとうございました。
 人生万歳!!!

署名

 志賀原発廃炉署名をいろいろなところで呼びかけている。WEB上では10000名を目標に。この署名に、全国の僕の友人、メロポチのお客様が協力してくださっている。これは本当に嬉しい。ただただ、感謝の気持ちでいっぱいだ。署名運動の実りの薄さに折れかかっていた僕は、呼びかけ人の女の子に冷めた感じで、もっと別の方法云々かんぬん・・・と話していたが、地味でもやっていかなければならない。地味だからこそ、大切なのかもしれない。煮物の出汁の様に。
 ごめんなさい、今日の蕗と厚揚げ、しいたけの煮物、薄かったことをここでお詫びいたします。

アースデイ石川マラソン

 今年のアースデイ石川は、湯涌銭がめ温泉、七尾希望の丘公園、金沢中央公園、珠洲鉢ヶ崎リゾート海岸、そしてあさっての小松は木場潟公園の5箇所開催。それに加え、シンポジウム「日本と未来のエネルギー」を開催した。そして、今年のメインの行事がアースデイ石川マラソン。各会場のアースデイが終わるごとに次の会場まで、今年のアースデイ石川の旗をリレーマラソンしている。先ほど、珠洲から運ばれた旗が小松に向けて出発した。走ったり、歩いたり。延べにして何人の人から人へ渡されていったのだろうか?今さらながらにして、本当の人間的距離感とモータリゼーションを駆使した感覚の違いに、いろいろなことを思い知らされる。歩いてみる。走ってみる。そこからみえるなにか。感じるなにか。その積み重ねが人生そのもの。肉体から感じる世界のリアリティー。新鮮な出来事に出会うのは案外簡単なことかもしれない。
 そして、旗をリレーすることによって繋がる僕ら。本当に繋がるってこんなことかも。テラ君がスタートした後のメロポチで、ラテンをBGMにふと思う。
 参加ご協力いただいた皆様、誠にありがとうございました!!

この日記

 僕の「メロメロポッチ熊野盛夫 日々の徒然」が“さるさる日記”のサービス終了とともに終わることになった。ちょっとびっくりしたが、すべてはいつか終わる。原子力発電所も必ず終わる。福島第一原発放射能汚染が続く中、人々の価値観も大きく揺れている。けれど、さらに大きく揺れるのは5年後からだ。国内の3分の2の原発が今、停まっているという。原子力発電所を抱える自治体の皆様には、決して故郷を、放射能汚染させてはいけない強い決意を持って欲しい。お金をいくらかけても、基準を超える出来事は必ず起こる。そして、なんだか怪しい原発マネーに依存することを即刻やめて欲しい。自ら汗して、自らが生きる。そんな当たり前の暮らしの喜びを再認識して欲しい。本当の喜びは、自分の手でつかむものだ。つかまされるものではない。海底が山頂に、山頂が海底に沈むダイナミズムの中に生きる僕たちは、地球の歴史スパンの中で生きなくてはいけない。安全かどうか議論する余地はない。停めること。そして、危険極まりない核燃料サイクルの思想を捨て、こつこつと生きていかねばならない。派手ではなくとも味のある生き方。それが王道なのだ。その決断がなされるまで、福島は長引くだろう。直感的にそう感じる。次の巨大地震までにすべての原発を停める事が、日本を真に愛するぼくらの最大の責務だ。
 だって安心できないも〜〜ん!

ソウルフード

 アースデイ金沢が5月3日、金沢中央公園で開催された。もっともインパクトがあったのは、トンガ風料理サイペからのパッション、情熱だ。準備した料理を売り切って稼いで家族3人生きてくぞー!!そんな思いが、つくる料理にも生命力として伝授する。食べて元気にならないはずがない。出会って、愛して、思わず親になって、そして、その分もがんばらねば!と意気込む。あるがままのその姿に、人は心打たれ、希望をもらう。自分もがんばろうと。ただ自分の欲するがまま生きる。そして、だんだん責任も広がっていく。周りのみんなとも繋がっていく。それは必然だ。頭で考える理屈ではない。生きるために人は働き、稼ぐのだ。それは基本の“き”であり、体=生命からあふれるリアリティーなのだ。そして、そのあふれんばかりの情熱が歌や踊り、感謝の笑顔になって世界に広がる。そんなことが、その夜の小幡さんのLIVE中に僕の心にふつふつと浮かんできた。欲しいものを欲しいと言えない人が増えている。それは謙虚さではなく生命力の衰退だ。手に入るかは問題ではない。欲しいと声をあげることから、自分の内部、そしてその外に広がる無限の世界、宇宙が変化していくのだ。手に入る見通しがあるから欲しがるのではない。手に入りそうもないからこそ、声をあげるのだ。それこそが、自分自身が生きるリアリティーなのだ。
 こどもの日のLIVEに、東京から富山さんという女性がおいでた。わたしののぞみ・・のようなタイトルの歌が最高に、僕の胸に響いた。彼女のリアリティーが彼女の言葉で、彼女のメロディーで解き放たれたとき、それはあかの他人の心を打つ。世界を変えるのはいつも、たった一人の心の叫び。
 ぼくは、そんな心の声が大好きだ。壊れそうなときこそ、心の声はパワーを持つ。ありがとうございます。心から叫ぶすべての表現者のみなさん。
 おやすみなさい。

止まらない余震の中で。

 安全神話は崩壊した。ほぼすべてのマスコミとほぼすべての政治家を抱き込みながら安全神話をがっちりガードするに足る電気料金を徴収しても。それが現実で、それが僕らの技術なのだ。収束のめども立たず、現場で働く多くの人々が被爆し続ける状況。北半球を中心とした世界中の人々も被爆し続けるが、現場の作業に関わる人々が最も被爆している状況。脱原発は、誰よりも電力会社、下請け関連会社の現場作業に関わる人々の健康にもっとも大切なことなのだ。そして、原発から半径〇〇Kmが人の住めない地区になる。昨日まで住んでいた自分の町に、家に、もう住めないのだ。そんなことが、起こった。この国で。同じ税金を納める、同じ言葉を話す人の住む町で。
 一度起こることは、必ず二度起こる。それは歴史の必然だ。この国を愛する。この町を愛する。安全安心を守る、そんなことを思う人、言う人は、考えなくてはいけない。福井も戦後、たいへん大きな地震が起こった土地だ。能登も先日、すごい地震を経験した。150億円かけて安全対策をすると朝刊に記事が出ていたが、「想定外」が消えるわけではない。止めるに限る。大切なのは止めて、どう生きるかの知恵を出し合うことだ。広島、長崎、福島を経験した私たちに出来ることは、すべての原発を止めて、世界の人々に謝罪し、本当に安全安心な国家の建設に努めること。40年間は瞬間だ。次の「想定外」までも瞬間だ。誰もが時間の危険性に気づくに十分の時が今だ。今を逃して、この国に未来はない。

恋する気分じゃないと君は言うけれど。

 今夜の「異業種交流会inめろめろぽっち」は黙祷からはじまった。そして、明日と言っても今日だが、石巻へ支援物資と義援金を持って向かうイージーtakuさんが歌ってくれた。ピースウォークで歌い、「いてもたってもいられない」で歌い続け、異業種交流会で歌うたくさん。この出来事の時に歌うためにずっと歌い続けてきたのかもしれない。そんなことを思ってしまう。いや、これからも歌い続けていかれるに違いない。どんなときも歌い続ける・・・そうたくさん自身が歌っているから。
 さて、今回の地震、そして放射能漏れ。地震は天災だから恐ろしいが防ぎようがない。けれど、福島原子力発電所放射能漏れは、そのあと、二度とそのような事態を起こさないように即刻手立てを打たねばならない。つまり日本全国の原子力発電所をすべて停止するべきだ。次の地震がいつ来るか、想定なんて概念はもう捨てて、謙虚さを持つべきだ。
 まだ、告白するに至らない男女はたくさんいる。今回の事態で、萎縮したり、ためらったりしている暇はない。即刻、愛を告げるべきだ。明日なんて概念もいつか消える日が来るかもしれない。そう、強く思った夜。