人に教えられること

 教育ということについて考えたことがある。基本的に自分で気付かねば何にも始まらないというところに落ち着くわけだが、それでも人が人に教えうるぎりぎりの線の何かは何か?と問いただしていったところ、結論から言えば“死”というものが現実に存在するということ、そしてそれがほんのそばの私にも起こりうるということ、この一点に尽きるような気がする。つまり、死を持って人生に終わりがあるということを人に教える。言葉ではなく“死”そのものをもってして。けれどそのとき彼、あるいは彼女は此の世にはいない。残された者たちは自分の人生にもひょっとして終わりがあるのでは!と実感したもののみが彼、あるいは彼女から死の存在を教わる。そしてそこからが真のリアルな人生の始まりなのではないだろうか?つまり人に教えるチャンスはたった一回だけ。神がそのときを決める・・・