法事とアソコ

 今日は、義理のおじさんの1周忌。朝から車を飛ばし、輪島へ向かった。無事会席もおわり、おばさんの家に戻ったところで、おじさんの最後の話を聞いた。分かっていたそうである。自分の死期を。
 “先が見える”ということについて、昔ある人が欲があるうちは見えない、そう話した事がある。おじさんはもはやそのとき欲をなくしていたのか?・・・それはさておき、そのときの集まりはおじさんが中心だったことは言うまでもない。けれど、おじさんはもはや肉体的には存在しない。それぞれの心の中に存在するのだが・・・まるで台風のように中心が空であるもの。世の中すべてそんなものばかりのような気もするが、果たして・・・
 店に戻ると今夜は内山ジーコ監督の「魂のアソコ」映画上映会。アソコということばがまた引っかかりだした。単なる指示語にはない含みがある。アソコ。この問題について考えるだけで人生は終わってしまうかもしれない、奥深さ。死んだら分かるという言葉でも解決できそうもない無限のテーマ、魂のアソコ。おじさんと語り合ってみたかった。そんな夜。