忘れることなく悲しみを持て眠っていても夢見ていても

 先日、富山のあるイベントで弾き語りをしてきた。たくさんの歌を歌ってきたが、基本的に歌いたい歌しか歌ってはいない。あらゆるステージでそうなのだが、歌いたい歌を歌わねば伝わらない。メロメロポッチにはたくさんの富山のお客様が来てくださる。どなたも個性的で奥が深い。このステージで僕が最も力を入れた一曲が大西恒次氏の作った富山の歌だった。僕のお気に入りのミュージシャン山口洋氏との出会いのきっかけを作ってくれた愛すべき34歳。黒部で行われた山口洋LIVE「歌の宅配便」の前座を務めた大西さん。初めて彼の歌を聴いたとき、笑った。そして、歌う姿を見る前に、もしこれが山口洋の歌だったら俺は帰る。と言ったのを覚えている。
 そんな出会いだった。大西恒次。けれど、何度かメロメロポッチでも歌ってくれるうちに彼の歌、彼のギターにだんだん惚れていった。今では無条件で大好きだ。同じ年で同じ国で生きる僕らには一切の会話はなくとも絶対的に共通に持つ何かがある。そして、山口洋のスピリッツがぷんぷん匂う。
 同じキーの山口洋に動かされ、自分は歌っていると思っていたが実は大西恒次に動かされたのではないか!?そんな気さえしてきた。
 ノーウェアマン、満月の夕、富山の歌、そして、今夜の日記のタイトルが詩の一節にある内田ボブの「おお主よ」。これが今自分自身強く歌いたいという気持ちを掻き立てる歌だ。
 やりたいことをやらないひと・・・そんな歌詞のコクシネルの歌も強烈に訴えかけてくる。魂のこもった歌に生きる活力を得る。

そんな夜。