頼まれごと 尻でピアノが弾かれた夜に

 重なるときには重なるもので、昨日今日と立て続けに原稿の依頼を受けた。ひとつはVIEW というミニコミ誌。もうひとつは金澤攝さんがプロデュースする「21世紀の響き」というコンサートの感想。両方ともすんなりと受けさせていただいたが、この日記を綴っていることがすごく大きい。自分が感じたことを書く(打つ!?)癖がついているようで、書き込まない日も常に、今日は何を書こうか、と思いをめぐらしている。だからそれほど抵抗なく(気持ちよく)ひとことで返事をした。
 金澤攝さんの音楽に対する考え方には共感するところが多い。作曲家自身が曲を作るのではなく、彼、あるいは彼女の暮らす土地の風土、時代が当人を通して1曲ならしめる。彼、あるいは彼女がその曲を作るのは必然である。自分の生み出す曲は、自分の暮らす金沢が生み出すものという思いから
中村から金澤へと改名した。
 ピアノからあふれるサウンドはたった一人の演奏であるにもかかわらず、メロメロポッチで奏でられるすべての音を網羅している。恐ろしいくらい包括されている。ステージは常に命がけ。生きるか死ぬか、その気迫が迫ってくる。今夜最後に演奏された自身の作曲した曲(ピアノ、バイオリン、ギターの構成)のエンディングで3者が尻でピアノを叩いた。場内からどよめき。しかし、曲の流れの中からそれは必然だった。遊び心と新鮮な気持ち。
 繊細かつ大胆な試みを生で見れた喜びは確かに驚きだったが、彼の偉大さはもっともっと深いところにある。金沢。奥深い町。ありがとう。