わからないこと

 今、いまこの瞬間のぼくのテーマは“わからないこと”に対する態度、あるいは気持ちである。昨夜のメロメロポッチは、ウェンデル・ベリー著「ライフ・イズ・ミラクル」の輪読会だった。第3章 エドワード・O・ウィルソンの『融合』の 3 帝国主義の37〜47ページ。担当は僕だった。なんでも知ろうとし、知り尽くすことは可能で、やがてすべては科学的に説明できるとするウィルソン氏の態度をベリーは謙虚さのない帝国主義的傲慢さと表現した。たとえば、六ヶ所村ではじまる原子力プルサーマル計画など。
 無知や神秘、人間としての限界はなくなることはない。いつも。ベリーのその言葉に、昨夜はなんの疑問もなく頷きながら読み進んでいた。けれど、今夜の僕は「知りたい」という欲望に駆り立てられている。おそらく、知ったところでどうということはなく、むしろ、知らないほうがよいのかもしれない。神秘は神秘のままに。そう穏やかにささやく自分と、突き動かされるように知りたがる自分。「わからないこと」に対して如何に向き合うか、こんな夜はダージリンティーでも飲むしかない。アメちゃんでもなめながら。