あっていないとき

 先日、同棲生活を始めて1年くらいになるという友人と会う機会があった。だいぶ落ち着いてきたようで、生活観の違いや習慣の違いがようやく認め合えるようになってきたと。結婚はまだ考えていないというが、ある意味すでに結婚しているようなので、何か滑稽に思えた。そして、いつも会っていたいから同棲しているはずなのに、一番意味がある時間は、二人で部屋にいる時間ではなく、互いにあっていない時間だというから更におかしい。かなり一本気な男なだけに、その哲学的物言いに引き込まれた。二人で暮らすためには、自分自身をしっかり持っていなければ、気持ちがよくないと。依存しても依存されてもバランスが崩れ、つまらないことですぐ喧嘩してしまうという。本当は会いたいのに、会わない時間をしっかりとキープする。そうすることによって二人のコミュニケーションが実にうまくいくという。大切に思えるそうな。互いが。
 婚姻届を提出しない緊張感を10数年楽しむ友人もいるが、二人が気持ちよく。これがやはりまず、人間関係の基本。誰とも会わない時間。会いたいのに会えない時間。会いたくないのに会わざるを得ない時間。いろいろあるけれど、彼の言葉によると「あっていないとき」の大切さを知ることが「あっているとき」にとって大切なそうな。

 えっ、しかしつまりそうなると、ずーーっと大切な時間であるということか!?
 命は大切に。