風の存在

 よく物理学で空気の重さの話になると、びっくりする。想像できないくらいの、ものすごい質量になるからだ。目には見えないが数字で表すと驚くべきことに。今日、いつもの通勤の道の途中にできた新築の家に付随する風力発電機を、某建築家さんと見に行った。実にシンプルだが、その羽の美しさにいつも僕はわくわくする。何を隠そう、僕も、今から10年ほど前に小型風力発電機を作っていたのだ。廃車になった自動車のラジエターの部品に、木で彫った羽をつけて、電球をつけて灯りが着いた瞬間の感動は今も忘れない。しかし、あのとき、最初は風がやんでいて、吹け吹け!と念じていたものの、いざ、風がやってきて羽根が回りだし、風が強くなったときの風の存在感と、羽音の空気を切る音の凄さに身震いしたときのことを思い出した。風車を回すことよりも、風車を止めることのほうが何十倍も重要であると肝に銘じた。
 今年のアースディ石川の企画のひとつ、映画「六ヶ所村ラプソディー」を県内6箇所で上映するというアースウィーク週間のイベントを僕が担当することになった。というか、手を挙げた。原子力発電所の使用済みウランの再処理工場のドキュメントであるが、それはいかなるものか、賛成もせず、反対もせず、淡々と描いているこの映画は、原子力の存在の大きさをずっしりと伝えてくれる。

 きっと原子力も、風と同じように、回すことよりも、まず、止めることのほうが重要なんだろうなあ、そのことを最重要課題として位置づけないと、とんでもないことになるかも・・・

 晴れた冬空に明日の無難を祈る。

もちろん、今日の静けさに感謝しながら。