なぞが解けるとき

 南極の氷も日々溶け出している。僕たちの疑問も注意深く状況を見つめていくと必ず解けていく。最近僕がもっとも「なぞ」と感じていたのは、ストイックなスポーツ選手のことだった。いろいろな制限の中、ややもすると命を削っているかのごとく感じさせるストイックさに、生きる意味ってどこにあるの?と思っていた。しかし、意外にもこの答えをみつけたのは昨夜のイベント「チベット仏教とマヤ暦をかんがえるかい?」だった。チベットかネパールの、とある町に1週間暮らすと何事が起こっても超ハッピーな人生観が自然に身につくという話を、先月のこの会でネパール協会の副理事さんより聞いていた。そこで昨夜、その町の名前を訊ねると、標高4000メートルを越えればどこでもよいとおっしゃられた。そう、酸素が薄い高山地帯、富士山山頂より高い世界で人は誰も幸せを感じる!!と。運動のハードさが増せば増すほど酸素が足りなくなる。すなわち高山にいるのと同じ状況になる。ある意味、死に近づくそのとき、人はえもいわれぬ生きる喜びを感じる。矛盾の中に真理があるとは、ある遊び人から聞いた台詞だが、なんとなく一致するように思えた。
 「苦」と「楽」。まとめて苦楽。漠然と世間に漂う「苦」を排除した先に「楽」だけがある世界。それをめざそう!という目に見えない価値観が、ここで崩壊する。単純なことだが、「苦」のないところに「楽」はなく、「楽」しかない世界は幻想のつまらない世界であると。果たして、自分の今の状況の中に「苦」はあるのか?それが人生の深みとって欠かせない要素になってくる。
 
 「苦」大歓迎を心に決める夜。