向こうからやってくる しあわせ

 一冊の本が送られてきた。郵便物でも、借りた本でも、新聞でも、かなり情報過多なぼくにとって、この一冊は最高の贈り物だった。長野から送られてきたこの本は、クリシュナムルティーの「瞑想」では表現しきれないものがあふれていた。と同時に僕のこれからにとって、なくてはならない要素がちりばめられていた。ツイッターを二日続けて勧められ、飛び込んでしまった僕だけれど、バランスをとる意味においてもほっとさせられる内容だった。
 そして、その本は昨日今日と四国から来店してくれたM君とも、大きく繫がっていた。現実のおもしろさは果てしない。
 新たにふたりの昼スタッフが加わり、みんなの呼吸をあわせるのに慣れない一週間だけれど、ふたりが躍動しだすとき、またとんでもない物語が始まる予感がする。若干疲れ気味な僕をよそに、カレーつくりは着々と進行したのだった。
 なんやかんやで予期せぬ本日の最高の幸せは、音はひかり。とおっしゃられた夕暮れ時のカウンターの某お客様のおことば。「はじめに言葉ありき」という宗教的なテーゼの科学的な根拠がせきららに語られた。「音はひかり」がテレビに用いられ、電話に用いられ、と。
 言葉も大切だけど、言葉以前の音にすでにひかりがある。カリフォルニア・ウインドしかり、小幡さんしかり、そういうことだったのか。
 何十回、何百回訪れてくださったお客様から、はじめてそんな話を聞かせて頂いた。ありがたい。
 弦奏の夜の谷内直樹さんが奏でる19世紀ギターの音色がまた冴え渡った。語りの本田 和さんの志賀直哉が聞こえない。いや、あまりのギターのひかりで、和さんの声が見えなかった。

 そんな夜。